「水戸二上り」は、節の細かい艶麗な曲風で、哀感の漂う美しい唄である。
水戸9代藩主徳川斉昭が好んだ唄であり、藩士にも広く唄われていた。
水戸城から弘道館への道中、大手橋あたりでよく口ずさまれていた、と伝えられている。
水戸の花柳界に入っては芸妓よって唄い継がれた。
「水戸二上り」は新内節系統の唄で「水戸二上り新内」とも呼ばれている。
歌詞が近江八景を唄っているものがあることから、この唄は近江が本場だと言われている。
これが茨城のものとなったのは、徳川斉昭が彦根藩から秀でた唄い手を連れてきて那珂湊に住まわせ、「水戸二上り」になった、と伝えられている。
斉昭は、「磯節」とともにこの「水戸二上り」を大変好み、家臣にも好んで唄わせていたそうで、武士たちがそぞろ歩きに口ずさんだ光景はさぞ風雅なものであったろうと思われる。
このように元来は野外唄であったが、その後三味線がつけられてお座敷唄となった。
『近江八景』
〽秋の月とは冴ゆれども 私の心は冴えやらぬ
堅田に落つるカリがねの ただ忘られぬが主のこと
なろうことならそばにいて 会いたい見たいと思えども
会わず(粟津)に戻るあの船は
あれが矢橋のマー帰帆かえ
『浮世荒波』
〽浮世荒波漕ぎ出てみれば あだやおろかにゃ過ごされぬ
浮くも沈むもみなその人の 舵の取りよとマー風次第
※「あだやおろか」は、「徒や疎か」(人の思いやりを無にすること)
と思われる
『水戸の偕楽』
〽水戸の偕楽梅どころ 白梅紅梅春を待つ
どこにいるのかウグイスの ホーホケキョと鳴く声に
初の姿が エー三分咲き
その他の歌詞
〽里を離れし草の家に 二人の他に虫の声
すきもる風にともし火の 消えてうれしき窓の月
〽悪止めせずとそこ離せ あすの月日がないじゃなし
止めるそなたの心より 帰るこの身が どんなにどんなにつらかろう