民謡関連

磯節

日本三大民謡でもある茨城県を代表する民謡「磯節」。

北海道の「江差追分」

九州の「博多節」

そして茨城県の「磯節」

が日本三大民謡と言われている。

難しい順で選ばれている、との説もある。

 

「磯節」が今日のような曲態になるまでには多くの人の手を経ている。

大洗の祝町が華やかだった頃、引き手茶屋の主人渡辺精作(芸名竹楽房)が手を加え、

那珂湊の芸妓置屋芸多満(げたまん)の主人矢吹萬助が、娘芸妓の金太・小六・とん子と高安のの町子らを連れて、東京で「磯節」、「大漁節」、「水戸二上り」を披露している。

同じ頃、磯浜に関根安中(せきねあんちゅう)がいて、「磯節」をよくし、「安中節」として親しまれた。

以来、「磯節」は磯浜で、那珂湊で、水戸でそれぞれ成長している。

伝統が長いだけに、歌詞も次々と作られ、現在は50を超える。

那珂湊の「磯節」は、芸多満(げたまん)の芸妓や谷井法童によって大成への道が開けた。

谷井法童は「磯節の父」とも言われている。

前述の関根安中(本名・関根丑太郎)は19歳で半盲となり漁夫をやめてからは、あんまとして働いていた。

安中は「磯節」の名手で、明治40年頃の本県出身の横綱「常陸山」に愛され、巡業先で「磯節」を唄った。

「磯節」が全国に広まったのは、常陸山に各地に連れ歩かれて唄った安中の「磯節」によるものだ、と考えられている。

安中が鷲印レコードに「磯節」を吹き込んだ時には、常陸山はそのレコードをほとんど買い占め、それを行く先々で配り宣伝したという。

 

「磯節全国大会」は予選が二日間、決戦会が一日と、計三日間かけて開催される。

毎年2月第1土日が予選会、2月11日(祝日)が決戦会である。

全国から約500人の参加者がおり、全国の民謡大会の中でもその規模は1,2位を争う。

 

〽磯で名所は大洗様よ(ハーサイショネ)

松が見えます ほのぼのと(松がネ)

見えますイソほのぼのと(ハーサイショネ)

 

〽水戸を離れて東へ三里  波の花散る大洗

花散る イソ 大洗