「網のし唄」は県内はもとより全国に知られ、「磯節」とともに茨城県を代表する民謡となっている。
那珂湊市平磯町はかつて茨城県有数の漁港を持ち、マグロ、カツオ、サンマ、イワシなど漁獲が多かった。
漁には、小目網、中目網、大目網の三種が用いられ、それぞれの網は染色の関係で緩く編んでおき、使用する際に浜や芝生に広げて、2,30人が両方から引き合って網の目を締めた。
これを「目締め」とか「目のし」と言った。
平磯町は、藩政時代から、櫓漕ぎ唄とか甚句とか呼ばれて唄われた唄があり、平磯住民の生活の唄として、盆踊りにも土搗きにも、船を漕ぐときにも唄われていた。
そして、目のしの際にはこの「網のし唄」が唄われ、しだいに動作に合った文句や節が定着して「目締め唄」とか「網のし唄」とか呼ばれるようになった。
石澤竹楽や谷井法童により改良され、現在の唄になっている。
現在、唄い始めに「ハー」が入るものと入らないものがある。
唄い方はちょっと違うが、曲調はほとんど変わらない。
「網のし唄」歌詞
〽のせやのせのせ 大目の目のし
のせばのすほど アレサ目がしまる
〽わたしゃ湊の 荒浜そだち
波も荒いが アレサ気も荒い
〽小間も十四も 大目の網も
切れりゃ網師の アレサ手にかかる
〽押せや押せ押せ 二丁櫓で押せや
押せば湊が アレサ近くなる
〽沖の瀬の瀬で どんと打つ波は
みんなあなたの アレサ度胸さだめ