民謡関連

水戸大津絵節

「水戸大津絵節」は鈴木甕水(本名・鈴木豊次)が作詞をし、

「水戸黄門記」、「曽我の夜討ち」、「水木村の山大殿」がある。

滋賀県大津の大津絵が大津絵節になる経緯については次のように言われている。

大津絵に描かれた人物を主題とした浄瑠璃、所作事が舞台でしばしば上演されたのに伴い、それにまつわる俗謡が大津の柴屋町の遊郭で唄いだされた。

大津絵節の名称は元唄の歌詞から出たもので、幕末の頃、全国的に流行してそれぞれ替え文句が作られ、唄いはやされたという。

このように滋賀県大津に発生した大津絵節は全国的な流行に伴い、各地に伝播、定着し,

曲風がそれぞれ変化し。歌詞も土地となりのものが作られた。

 

福島県会津地方の「大津絵」のように祝いの唄として用いている土地も少なからずあり、九州地方のように「おちえ」とか「おちあ」などと訛って、原調とかけはなれた別の唄に変化して唄われている土地もある。

さて、「水戸大津絵」に寄せて鈴木豊次は次のように書いている。

「ここに大義名分の発祥地として天下に知られた水戸の、名君光圀公の勧善懲悪の国巡り黄門記の一節を、作詞編曲独特の節調で「水戸大津絵」としたもので、本謡を通し名君黄門様の偉業美徳を讃え、善政を偲び、民族精神昴揚の一助ともなれば、望外の喜びとするものである。」

「水戸大津絵」は、曲節が変化に富み技巧的であるが、節に安定感があり、美しい曲である。

「水戸大津絵」(水戸黄門記)

〽徳川太平三百年 水戸は代々副将軍 黄門様で名も高き

名君二代目光圀公 国の善政は人よりと 助さん格さん共に連れ

勧善懲悪国巡り (ハーキタサー)

悪代官やならず者 うちこらし 悔悟の涙流さしむ

今が世までも語り草 水戸黄門漫遊記