民謡関連

茨城船甚句(いばらきふなじんく)

山形七之介、石澤竹楽、小野崎加道、青木靖月らが、「網のし唄」を発表したのち、古老などから聞き込みを行い構想を練って作ったのがこの「茨城船甚句」である。

大洗文化センター前、磯浜海岸に面して「船甚句」の碑が立てられている。

その碑面に由来が刻まれている。

「この唄は、大洗海岸をはじめ、三浜地方で昔から唄われてきた「網のし唄」の元唄と言われております。戦後水産加工業を営む傍ら本場磯節保存会の会員として活躍していた古老山形七之介翁がよくこの〈船甚句〉を愛唄していました。現在のような機械船にならない時代、漁師が漁労のために漁船を操り、漁場と港の往復に櫓を操りながら唄った〈櫓漕ぎ唄〉と言われています。もともと題名のなかったこの唄に、昭和23年春、本場磯節保存会の石澤竹楽会長が【茨城船甚句】と名付け、昔から唄われていた歌詞に、「朝も早よから 出船の支度 港大漁で マネ揃い」という歌詞を補作し、以来全国の民謡愛好家に唄われるようになりました。 昭和58年5月建立」

 

この唄は、はじめは「船甚句」であったが、のち「那珂湊船甚句」となり、さらに「茨城船甚句」となった。

海の男の唄で活発に力強く唄う。

お囃子の「コイショ」は往時の船漕ぎのさまをしのばせる。

「船甚句」は「網のし唄」の元唄と記されているが、その源流は宮城県の海上に唄われる「遠島甚句」である。